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南十字星に口紅を
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みかんじたてのオレンジ
今日は暑いぐらいの真昼であった。
なぜか、みかんが食べたいと脳みそからの指令があったのだ。
早速であるが煩悩味覚にやってみかんを買い求めに行ったのだ。
何度か買い物に行ったことのあるお店に足が向かったのである。
八百屋さんではないがほぼ日常のものがそろうお店である。
八百屋さんと思えば八百屋さんである。
肉屋さんと思えば肉屋さんである。
お魚屋さんと思えばお魚屋さんである。
酒屋さん、お菓子屋さん、・・・・・・・・・・・・・
と思えば・・・・・・屋さんでもある。
贅沢さえ言わなければこのお店だけで一生、生活できるお店である。
ぶつぶつ言わなければスーパー以上のオールマイティストアである。
お値段もかなりお安い、オールマイティなストアである。
地元ではないので行った時に買い物させていただくということどすが
本日、利用させていただきました。
以前に見つけたみかんのあるところにみかんが置いてあったのだ。
籠の中にみかんを入れその他にもいくつか必要な物を買い求めたどす。
いつもの所に着き、早速みかんを食べようとみかんを取り出し
皮をむいて食べようとしたのだが何かが違う、大きくちがう。
皮が厚くて硬い。
皮をむいたらその香りでこれはみかんではないことに気が付いたのである。
すべてが錯覚と思い込みであることに気が付いたのだった。
Roy Orbison - Oh, Pretty Woman
.
目も、口も、舌も、それからの思い込み情報で脳みそも。
視覚、味覚の錯覚でそのものはみかんと脳みそは判断したが違ったのだ。
どうみてもみかんなのだが違ったのだ。
ポンカンでもないのだ。
まるで手品のようであるが、魔法でもなくマッジックでもなく
そこにあって美味しく食べたのだった。
なんと言っていいのどっしゃろか。
みかんじたてのオレンジ。
これがピッタリどっしゃろか。
どう見てもみかんにしかみえないどすが
ものはおいしいオレンジどした。
すいぶんたっぷりのオレンジ果実どした。

しっかりと自分の思い込みによって自分にだまされました。
見た目はみかん、中身はオレンジ。
見た目と中身は違う。
思い込みと錯覚。
目も、口も、舌も、それからの思い込み情報で脳みそもそれだと思ってしまうんどすなぁ。
あらためて再認識どすなぁ。
目はみるためにある。
口は食べるためにある。
舌は味わうためにある。
人体の常識の再確認どすなぁ。
思い込みと錯覚、あらまっちゃんでべそどすなぁ。
これが生身の人間といえるのかもしれませんなぁ。

たいしたみかんじたてのオレンジどした。
味の方は一流どす。
願わくは皮をみかん並みにして欲しいどすなぁ。

清見オレンジ 和歌山県産
脱帽どす。


ほな さいなら
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オレンジじたてのみかん
町を歩けば葉をすべて落とした枯れ木に
なったような木が目に入ってくる。
淋しくたたずんでいるようであるがよく見れば
小さく色づいた若葉の芽が息づいている。
そうか、今日は2月29日か、明日からは3月か。
待望の春の訪れを伝える明日からは3月か。

はるはなのみのかぜのつめたさ~~

とはいえ、待望の春の訪れを伝える明日からは3月か。
若葉の芽を見ていたらほんわりと暖かくなってきたような気がした。
足取りも軽くなってきた気もする。
ドラッグストアの前に差し掛かった。
地上波のTVがつけているのがみえる。
どんよりとした肌寒いお天気とどんよりとした霧のようなものがかかる町なかで
地上波のTVが輝きを増している。
TVの芝生は金色のようにみえるのであった。
肥料に何をつかっているのだろうか、何かにおってくるような気もする。

Bach - Air on G String


TVを観ているとそれ程景気は悪くないように思える。
むしろ明るくなってきているようにみえるのだ。
だが、巷ではそのような感じはしない。
むしろ暗くなってきているようなきもするのであった。
よそいきの顔のところでは別ではあるのだが。
原因は分かりにくいけれども、今日余計に使ったら明日は我慢。
これにあるのかもしれない。
計画経済主義よりさらに踏み込んだ人民計画家計主義に
突き進んでいるのかもしれない。
これに対抗できる処方箋はありうるのか、あるにはあるが
難しい選択となるのだろう。

分の解らない、ありそうでなさそうな事を思いついたのであるが
現状はそうなってきているのだろう。
わつ、これはすごいどすなぁ。
以前にペンシルビルがにょきにょきとか言っておましたが
ペンシル戸建てがにょきにょきと建っておます。
3階建て狭小地戸建てがにょきにょき沢山建っておます。
身の丈に応じた賢明な人たちが主流となりつつつあるんどすなぁ。
まんざら人民計画家計主義も空想の産物ではなさそうどす。

サバイブ
サバイバー
サバイバル

はるはなのみのかぜのつめたさ~~
ときにあらずとこえをひそめ~~♪♪

不動の人民計画家計主義どす。


ほな さいなら
ナンバーワン
見知らぬ町であるが同じ道を歩いている。
月に何回かという程度であるが同じ道を歩いている。
必要な人が待っているのでそこへ行くために道を歩いている。
早くない朝の時のほぼ決まった時間に歩いているので
ある所で決められたようにある人と出会うのである。
それは、その人の家の前であるのだ。
家の前をきれいに掃除をして水を撒いている時である。
いつも会うのでいつの間にか目礼をして通り過ぎて行くのであるが、
いつの間にか、おはようございます、ごくろうさま、いってらっしゃい、
そんなふうになっていたのであった。
見知らぬ人と人ではあるが顔なじみとなっていたのであった。
ご老人というには若いがおばさんに近いという品の良い、ご婦人である。

ちょっと前であるが、そのご婦人がひたしそうにはなしかけてきたのだった。
5分ほど立ち話をしてその場を去ったのである。
2週間ほどしてそこの家の前を通りかかった時、状況が一変していたのであった。
ご婦人もいない、何もない、家も無い、更地になっていたのであった。
今思えば、あの時にお別れのあいさつをしてくれていたのだった。

ありがたいことである、どこかでまた会う予感もするのである。

John Lennon - Woman


なかなか難しい世の中になってきたのであると思うのであるが、
雑居、雑所、混居というのもあらゆるものが疑念という無秩序の
中では難しい概念となりつつあるのをみるのである。
固定概念では階層の自由変化、階級の自由変化、ありていに言えば、
自由に自分で選べるが楽はできない。
自由変化もできにくい固定化された自由変化、身分ではない、社会である。
不平等でありすぎるということでもない。
平等すぎるほど平等に完成された社会であるように思うのだが
なぜか、不安がある。
どこにそれがあるのか。
大乗世間であると思っていたのが、じつは
小乗世間であったのだ。
わけのわからないことであるのだがこれに尽きるのかもしれない。
一所懸命も大乗的論理では通用しつづけるが小乗論理では・・・・

雑居、雑所、混居も難しい時代になっているようどす。
階層の自由変化、階級の自由変化、人は何を欲するのか。

ロボッツ、欲するのか。

人は動物である。
人はヒューマンである。

君の行く道は
果てしなく遠い
なのに
何故、君は行くのか
さらば、スバルよ~~♪♪


ほな さいなら
ふろんてぃあ
ある時ある日、ある人とお話をしていました。
文学的な柔軟な人ではあるが硬い人でもある。
人はいろいろとタイプがあって味方も多いが敵も多い。
本人が好むと好まざるにかからわず覇道タイプであるが、
ほっといても人が集まってくる王道タイプでもある。
面白い、魅力のある人である。
なぜか、よく気があうのである。
タイプ的には違うのであるが気があうのである。
なにが違うのかと言われると困るのであるが
よき友であり、よき師でもある。

Stevie Wonder ‐ Superstition



ある日ある時、夜深けのハンバーグライスをいただきながら、
文化的な話をしていたのだ。
かなりきわどい文化的な話であったのだ。
周りから見ればかなりきわどい文化的な話ではあるが
当人同士からみればたわいもない話である。
俺は昔で言えば備前・岡山人、あんたは江戸府内・江戸人であった。
その時祖先は何を食っていたのか、米食ってた、うん、
そば食ってた、うん、うどん食ってた、うん、
味噌汁飲んでた、イエス、とまあ夜深けのハンバーグライスをいただきながら、
文学的に、ポエム的に情緒的にぱくつきながら話していたわけどす。
この先難しい領域に入ってゆくわけどす。
個人と個人ではなんの問題もないわけどすが、難しい領域に入ってゆくわけどす。
スーパーステションという難しい領域に入ってゆくわけどすなぁ。
あの時代にはなかった。
現在はある。
スーパーステションという難しい領域に入ってゆくわけどすなぁ。
主観と客観の循環でうまかいいじゃねぇか、
いくら安全でもまずきゃどうしょうもねぇだろう。
もはや、どこでも先進国はそういう時代でしょうねぇ。
おいしい、安全だ、おかわり!!
好みは自分で決められる良い時代となりました。

あんた 何食ってんだい
いまだに、味噌汁と米かい

質と量と安全を確保したものが
世界を凌駕する。

港のよう子
横浜横須賀~~~♪

こんなところで盛り上がりました。

あんた 何食ってんだい
いまだに、味噌汁と米かい

港のよう子
横浜横須賀~~~♪



ほな さいなら
逆転
すごい人がいたんだな。
あの時代背景で。
あの環境の中で。
修羅場をくぐってその中で気絶をして無念にも敵に
救われ捕虜となった。
その後がすごい。
敵方に信用され協力を要請され内面の葛藤と来るべく
未来を見つめながら悩みに悩み受諾する。
先がどうなるのか分からない時代に自分と小未来を
信じて協力をしていく。
助かりたい一心ではなく未来を見つめてスパイとしてではなく
愛国者として協力をする。
その後も。
名もない、名を売り出すこともなく、そのまま消えた。
そのまま市居の中に消えた。
すごい人がいたんだな。
あの時代背景で。
あの環境の中で。
すごい人がいたんだな。

Helen Merrill with Clifford Brown - You'd Be So Nice To Come Home To


先の大戦での発見されたレコード盤での捕虜の証言の
NHKドキュメンタリー番組を見ての感想どす。
何を言っていいのか分からないというのが本音ですが、
すごい人がいたんだな。
名もない、名を売り出すこともなく、そのまま消えた。
そのまま市居の中に消えた。
正解はこれに尽きる。
これでしょうね。

冷徹に冷酷に事実のその時の現在を見ていた。
恥、軍の創った造語であった。
上級とは、中級下級に過度に依存する貴族であった。
特に下級の迷信的に奮闘する依存する貴族であった。
現場での命すり減らして行くことに依存する貴族であった。
まあ、いろいろありますがするどいその時の現状では見抜けない
猛烈にするどい洞察でした。
世界を見た、世界から来た、
まあ、いろいろありますがするどいその時の現状では見抜けない
猛烈にするどい洞察力でした。
すごい人がいた。
名を売り出すこともなく、そのまま消えた。
にっぽんに住み続けたにっぽん人の中のにっぽん人がいた。

尊敬する偉人の中にその名が加わった。
歴史とはミステリーである。

孤軍奮闘。
尊敬する偉人の中にその名が加わった。
歴史とはミステリーどす。

現在はどうでしょうか。
エリート。
どう訳すのか。
どれい。

エリート。
エリートと思ってるエリートはいないどすなぁ。

尊敬する偉人の中にその名が加わった。
歴史とはミステリーである。


ほな さいなら
ゆめのきょうえん
ゆめのきょうえん。
ゆめのきょうえん。
ゆめのなんとか。
ゆめのに続く熟語がいろいろとありそうどす。
だが、ゆめのきょうえんはなんの意味であるのか分からない。
ひらがなのゆめのきょうえんではどんなゆめのきょうえんであるのか
よくわからない。


夢の競演。
夢の共演。
夢の漢字。

ひらがなのゆめのきょうえんでは本来のさす意味が
よく分からないのどすが熟語の漢字になると意味が分かってくる。
文章としてつながりのあるひらがなのゆめのきょうえんという文字ならば
文章の前後関係から理解することができる。
だが、夢の漢字と文字が出てくれば容赦なくこの意味に使う状況を表す。
しつこく展開したいところどすがまぁ、というところどすなぁ。

ところがところがどすもっとすごいものがある。
人類の長い長い歴史の脳みその多要素のできどす。

Eagles - One Of These Nights


会話。
ということどす。
おしゃべりどす。
まあ、不思議なことにひらがなも漢字も出てこない。
おしゃべりどす。おしゃべりどす。
なのに双方の円滑なおしゃべりが続いていくんどすなぁ。
意思の疎通もできている。
稀に、誤解という副作用を生むこともあるどすが。
もう一度丁重に話せば誤解も解ける。
誤解も溝も埋まらないということもたまにあるわけどすけどなぁ。
それも人生さ。千年も続くわけでもない。
おほほなところどす。

さてと、言語、会話、おしゃべり。
前後関係の相手の話から一瞬にして内容を意識することもなく
理解できる。
そしてそれに対応できる。
稀に、分からなくなることがあるわけどすが、
誰も皆、何とかなるさで乗り切ってるわけどすなぁ。
うだうだと展開したいところどすが。
脳みそに生まれてからインプットされた思考回路が
たえず働きそれとともに自らとも会話している。
これが根源の文化だと思うわけどす。
延々と展開したいところどすが。
まあ、ということどすなぁ。

もっとも難しいおしゃべりは何かどすなぁ。
自分との対話どすかなぁ。



ほな さいなら

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