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南十字星に口紅を
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「お猿のかごや」
無意識にというのがあるんだと思うんどす。
誰に言われたわけでもない。
さりとて大きな理由がある訳でもない。
だからと言って相手にしている訳でもない。
ずっとそうだったのかと思えばそうでもないようだ。
そのまま信用していたのかと思えばそうでもなっかたようだった。
話半分、すべてを信じれば・・・信じざれば・・・
のような感覚だったようだ。
それがいつの日かそれを観ると無意識に歌が出てくるようになった。

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
お猿のかごやだ ホイサッサ
日暮れの山道 細い道
小田原提灯ぶらさげて ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
ホーイ ホイホイ ホイサッサ

ご存知 童謡「お猿のかごや」でおさる。
まだ幼いころに覚えよく歌った童謡であるがいまだによく覚えている。
あの頃とは違った意味で無意識に歌っていることに気づくのだ。

このような感じで無意識に歌ってるんどす。
童謡とは言え教養の高い作詞家、作曲家が創作したわけどす。
幼い頃は楽しいユーモアのある曲として「お猿のかごや」を
ニコニコしながら独唱、みんなで歌っていた頃が思い出される。
年月が過ぎ行き、大人となりズブくなり別の形になって
無意識という名を借りて極自然に口から出ている。
当時の子供の社会と当のたった大人の社会を見て作詞したのだろう。
当時の子供の社会は生意気ではあったのだろうがまだ純朴だったのだろう。
大人の社会はどうだったのだろうか。
形は違えどもあまり現在と変わりがなかったのだろう。
およそ想像がつくが語らない。
何故ならばこの歌の奥の深さには及びもしないからだ。
帰らぬ昔を偲び過程を経て当時の現在に至った。
そしてこの秀作「お猿のかごや」が生まれた。
奥の深い「お猿のかごや」が脚光を浴びて世に出たのだ。

家に帰ってきた。
冷蔵庫からドクターペッパーを取り出し一口飲んだ。
テレビを付けた、情報系せまいでショーを放映していた。
また、無意識に歌を口ずさんでいたのだった。

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
お猿のかごやだ ホイサッサ
日暮れの山道 細い道
小田原提灯ぶらさげて ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
ホーイ ホイホイ ホイサッサ

何故なのだろう、わからん。
7不思議の一つである。
テレビを消してドクターペッパーとココア牛乳を持って部屋に行く。
ココア牛乳は諜報犬コラッ!のためであるどす。
ここでもテレビを付けた、フォークシンガーの加藤登紀子さんが
出演していた。NHK BS3どした。
ポーランドのワルシャワ蜂起のことを放映していた。
その当時に作られ歌われたのことをやていたのだ。
無意識に歌を口ずさんでいなかった。
何故なのだろう、わからん。
7不思議の一つである。

何故か番組が終わって聞こえてきた。

暴虐の雲 光をおおい
敵の嵐は 荒れくるう
ひるまず進め 我らが友よ
・・・・・・・・・・・・~~♪♪


ほな さいなら
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