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南十字星に口紅を
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始めがあるのだ
一人で歩いていると孤独であるのだが面白いな
と思うわけどすが、別の次元の、気の使うことの
異次元の自分と対話をしていると思うわけどす。
何を考え、何を思っているのかとは全く違う事を
おもっとるわけどす。本能のようなものどす。
蘇った宇宙戦艦ヤマトとは全く違う、古代記憶文明とは
全く違う未来文明というものの夜明けはあるのであろうか。
巨大な宇宙のゴミの一つを探し当てるのは無理なことであるのだ。
もしもだ、ぼうようとした意識の中で大きな巨大な宇宙のの中でごみを
探し当てたとしよう、ごみか、貴重品か誰が判定するのであろうか。
億兆分の1である。
天文学を超えた無限大数の仏教の世界であるどす。
なかなか難しい世界に自分ですることもできますが、
単純な世界にすることも出来る。
単純と複雑ということでしょうがどちらをとるということでしょうなぁ。
どちらもどっこいでしょうと思いますが。
極端に言えば金にこだわるか、論理的な理屈にこだわるか、
この違いだと思うんどすがどっちでもかまわんどすが
このへんが面白い事であるのだろう。
人は人、あんたはあんた、微妙な関係の協調性。
人類が天からいただいた動物の進化の最終のおきみあげ。
これが機能している限りはまあ、だいじょうぶどす。
しかし最近はあらららどすなぁ。

Jim Greeninger - Recuerdos de la Alhambra



何を思うのか、
何を望むのか、
何がしたいのか、
わからない解らない分からないづくしのなかで
なにがわかるのか、
これでしょうねぇ。

わかるわかるは何もわからない先生
わからないわからないはわかろうとする先生

戦後落ちたもの
なんでしょうか。

NHKBSを見ていたときにこういう場面がありました。
チェコでの電車内の会話どした。
関口さんの番組どした。
社会主義時代のチェコでは学校の先生は尊敬されている職業であった。
ソ連から離れて民主主義になったらぼろくそに言われる職業になっていた。
という現地の車内の会話どした。
わかるようでわからないことどすなぁ。
にっぽんとだぶるような気もしますなぁ。

社会主義サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~~

資本主義サラリーマンはつらい稼業ときたもんだ~~


ある意味で世の中変わりつつあるようで、あのNYの金金の世界が
人は徳であり徳は人である。
そうなってきているそうどす。
信じられまへんけどなぁ。
まあ、どうどすか。
人は生き物。
金は化け物。
まあ、信じましょう。

いい番組つくりますよね、NHKBSはねぇ。
いろいろとありますがいい番組つくりますよね、NHKBSはねぇ。
お金がかかっているようでかかっていない。
頭のよい人たちだなぁと思うどす。

ファンはファンとして終わりなき番組を作っていただきたいとおもいます。

がんばって~~
ふんばって~~

空に北斗七星がみえるかぎり
がんばって~~
ふんばって~~


がんばって~~
ふんばって~~


ほな さいなら
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めもり
ここに分厚い本を取り出した。
分厚いだけあって重たいのでもある。
分厚く重たいだけではなく頭も痛くなる本でもある。
自称頭痛本と呼んでいる。
めったに取り出さないのではあるが。
その本の別のページの2か所にしおりのように絵葉書がはさんであった。
ほんの内容とは全く関係がない絵葉書であるが普段は忘れたよう
なっていた記憶がうっすらと蘇ってきたのである。
懐かしく蘇ってきたのだった。
どこの国のどこの場所だったのかもすぐに分かった。
どこで買い求めたのかもすぐに思い出した。
だが、記憶があいまいとなっているものが多い。
目に映ったインパクトの大きいものはそこのどこだかよく覚えていないが
映像ととして自らすりこんだ記憶としてかなり正確に覚えている。
その映像の記憶を基準としてかなり薄れ去った記憶も蘇るのだった。
だが、その地へはどうやって行ったのかは思い出さないのである。
徒歩であったのか、循環地下鉄であったのか、それともバスであったのか
別の手段であったのか思い出さないのである。
瞬間移動のワープのようにその場所に行っているのであったのだ。
きっとそこに行けば移動手段も必要にせまられて思い出すのであろう。

Juliana Vieira - Smoke on the water


この絵葉書をたよりに記憶の蔦をたどって行くのだ。
何も見ない、何もヘルプはなし、間違いの記憶も修正しない。
ただ脳内の記憶装置のままに。

ところはイタリアのミラノ。
場所はなんとかグラッチェ教会のある一室。
そこのさほど広くはない部屋に入ると壁画が描いてある。
世界でも超有名な壁画が描いてあるのだ。
美術の教科書で何度も見たことのある超有名な壁画が描いてあるのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた超有名な壁画が描いてあるのだ。
ジーザスの使徒と共に描いてある壁画なのだ。
『最後の晩餐』
この壁画なのだ。
これを観た感想はなにも言うまい。
うるおぼえであるのだがその部屋が先の大戦で空爆された傷が
残っていたのを覚えている。
壁画が無傷で残ったのが何より幸いどした。
『最後の晩餐』の前の壁に描かれて壁画もかなりの絵どした。
大きな声では言えませんがこちらのほうがかなり気になりました。
そのなんとかグラッチェ教会の売店で買い求めたのがこの絵葉書どす。
もうひとつお土産を買ったのどすが、『最後の晩餐』の絵柄のマウスパッドどす。
それはわが相棒の名犬コラッの座布団になっておます。

それにつながっていろいろと思い出します。
あの大きな美しいアーケード、そのなかの世界のブランドストア。
疲れたと思った時に出会ったあの広場。
まだまだ記憶は無限連鎖のように思い出したのだった。

刺激よってかなり正確な記憶が蘇ってくるのだった。



もう一度行って観てみたいかと問れれば
もちろん
イエスどす。


ほな さいなら
みかんじたてのオレンジ
今日は暑いぐらいの真昼であった。
なぜか、みかんが食べたいと脳みそからの指令があったのだ。
早速であるが煩悩味覚にやってみかんを買い求めに行ったのだ。
何度か買い物に行ったことのあるお店に足が向かったのである。
八百屋さんではないがほぼ日常のものがそろうお店である。
八百屋さんと思えば八百屋さんである。
肉屋さんと思えば肉屋さんである。
お魚屋さんと思えばお魚屋さんである。
酒屋さん、お菓子屋さん、・・・・・・・・・・・・・
と思えば・・・・・・屋さんでもある。
贅沢さえ言わなければこのお店だけで一生、生活できるお店である。
ぶつぶつ言わなければスーパー以上のオールマイティストアである。
お値段もかなりお安い、オールマイティなストアである。
地元ではないので行った時に買い物させていただくということどすが
本日、利用させていただきました。
以前に見つけたみかんのあるところにみかんが置いてあったのだ。
籠の中にみかんを入れその他にもいくつか必要な物を買い求めたどす。
いつもの所に着き、早速みかんを食べようとみかんを取り出し
皮をむいて食べようとしたのだが何かが違う、大きくちがう。
皮が厚くて硬い。
皮をむいたらその香りでこれはみかんではないことに気が付いたのである。
すべてが錯覚と思い込みであることに気が付いたのだった。
Roy Orbison - Oh, Pretty Woman
.
目も、口も、舌も、それからの思い込み情報で脳みそも。
視覚、味覚の錯覚でそのものはみかんと脳みそは判断したが違ったのだ。
どうみてもみかんなのだが違ったのだ。
ポンカンでもないのだ。
まるで手品のようであるが、魔法でもなくマッジックでもなく
そこにあって美味しく食べたのだった。
なんと言っていいのどっしゃろか。
みかんじたてのオレンジ。
これがピッタリどっしゃろか。
どう見てもみかんにしかみえないどすが
ものはおいしいオレンジどした。
すいぶんたっぷりのオレンジ果実どした。

しっかりと自分の思い込みによって自分にだまされました。
見た目はみかん、中身はオレンジ。
見た目と中身は違う。
思い込みと錯覚。
目も、口も、舌も、それからの思い込み情報で脳みそもそれだと思ってしまうんどすなぁ。
あらためて再認識どすなぁ。
目はみるためにある。
口は食べるためにある。
舌は味わうためにある。
人体の常識の再確認どすなぁ。
思い込みと錯覚、あらまっちゃんでべそどすなぁ。
これが生身の人間といえるのかもしれませんなぁ。

たいしたみかんじたてのオレンジどした。
味の方は一流どす。
願わくは皮をみかん並みにして欲しいどすなぁ。

清見オレンジ 和歌山県産
脱帽どす。


ほな さいなら
ろこたいむ
暖かい一日どした。
このままするすると余り寒暖の差もなく
ゆるゆると暖かくなって桜の咲く季節を迎えて
ほしいものだと思うどす。
世の中がぱっと明るくなり憂鬱な気分もすべて
桜の花びらが飲み込んでくれているようで
気分爽快、桜の花を見るために、このために
我はこの地球に誕生したのだ、華麗なるこの祖国にっぽんに
誕生したのだ。
とてもやがて世の中を明るく照らす桜並木になるとは思えない
すべてを落としただ、静かにたたずむ桜とはとてもただの木と
しか思えないそれが続く場所を歩いていたのだった。
川の匂いも歩く人の息吹もやがてやって来る、
もうまじかな時を感じているのだろう。
おだやかさと待望をオーラの如く感じるのである。
すべてを落とし、深い眠りについていた桜の木々も
季節を感じて深い眠りから目が覚めて待ちに待った
季節の到来をゆっくりと感じているのだろう。
人のオーラと大気のオーラを感じ取ってやがて来るべき時の
準備をゆっくりとしているのであろう。
あせらず、あわてずゆっくりとしているのであろう。
とてもやがて世の中を明るく照らす桜並木になるとは思えない
木々であるのだが、その中を歩いていると感じるのである。
桜のきの静かな生きづかいとたくましいオーラを感じるのであった。
人の歓喜の中で迎えられ、ドラマを創り出す桜の花どす。
コロたんも待ち望んでいる。

Chopin - Nocturne


思い出すのである。
幼いころを思い出すのである。
可憐な花の咲くころを思い出すのである。
図工のお時間に描いた絵を思い出したのどした。

咲いた咲いた~~
チューリップの花が~~♪♪

富士は高いな大きいな~~♪♪

思い出すのである。
その絵は今、どこの美術館に飾られているのだろうか。
冗談にも思ったりもしませんが。
でも、くっきりと描いたその絵を今でも覚えておますなぁ。
チューリップの花、富士山よく覚えております。
桜の花びらを描いたのは覚えておりまへん。
茫洋とした美しすぎるからかもしれませんなぁ。

気分爽快、桜の花を見るために、このために
我はこの地球に誕生したのだ、華麗なるこの祖国にっぽんに
誕生したのだ。

真白き富士のね~~
緑の江ノ島~~

ビューティフル!!
グリーンアイランド

さくら~~
さくら~~


ほな さいなら
オレンジじたてのみかん
町を歩けば葉をすべて落とした枯れ木に
なったような木が目に入ってくる。
淋しくたたずんでいるようであるがよく見れば
小さく色づいた若葉の芽が息づいている。
そうか、今日は2月29日か、明日からは3月か。
待望の春の訪れを伝える明日からは3月か。

はるはなのみのかぜのつめたさ~~

とはいえ、待望の春の訪れを伝える明日からは3月か。
若葉の芽を見ていたらほんわりと暖かくなってきたような気がした。
足取りも軽くなってきた気もする。
ドラッグストアの前に差し掛かった。
地上波のTVがつけているのがみえる。
どんよりとした肌寒いお天気とどんよりとした霧のようなものがかかる町なかで
地上波のTVが輝きを増している。
TVの芝生は金色のようにみえるのであった。
肥料に何をつかっているのだろうか、何かにおってくるような気もする。

Bach - Air on G String


TVを観ているとそれ程景気は悪くないように思える。
むしろ明るくなってきているようにみえるのだ。
だが、巷ではそのような感じはしない。
むしろ暗くなってきているようなきもするのであった。
よそいきの顔のところでは別ではあるのだが。
原因は分かりにくいけれども、今日余計に使ったら明日は我慢。
これにあるのかもしれない。
計画経済主義よりさらに踏み込んだ人民計画家計主義に
突き進んでいるのかもしれない。
これに対抗できる処方箋はありうるのか、あるにはあるが
難しい選択となるのだろう。

分の解らない、ありそうでなさそうな事を思いついたのであるが
現状はそうなってきているのだろう。
わつ、これはすごいどすなぁ。
以前にペンシルビルがにょきにょきとか言っておましたが
ペンシル戸建てがにょきにょきと建っておます。
3階建て狭小地戸建てがにょきにょき沢山建っておます。
身の丈に応じた賢明な人たちが主流となりつつつあるんどすなぁ。
まんざら人民計画家計主義も空想の産物ではなさそうどす。

サバイブ
サバイバー
サバイバル

はるはなのみのかぜのつめたさ~~
ときにあらずとこえをひそめ~~♪♪

不動の人民計画家計主義どす。


ほな さいなら
ナンバーワン
見知らぬ町であるが同じ道を歩いている。
月に何回かという程度であるが同じ道を歩いている。
必要な人が待っているのでそこへ行くために道を歩いている。
早くない朝の時のほぼ決まった時間に歩いているので
ある所で決められたようにある人と出会うのである。
それは、その人の家の前であるのだ。
家の前をきれいに掃除をして水を撒いている時である。
いつも会うのでいつの間にか目礼をして通り過ぎて行くのであるが、
いつの間にか、おはようございます、ごくろうさま、いってらっしゃい、
そんなふうになっていたのであった。
見知らぬ人と人ではあるが顔なじみとなっていたのであった。
ご老人というには若いがおばさんに近いという品の良い、ご婦人である。

ちょっと前であるが、そのご婦人がひたしそうにはなしかけてきたのだった。
5分ほど立ち話をしてその場を去ったのである。
2週間ほどしてそこの家の前を通りかかった時、状況が一変していたのであった。
ご婦人もいない、何もない、家も無い、更地になっていたのであった。
今思えば、あの時にお別れのあいさつをしてくれていたのだった。

ありがたいことである、どこかでまた会う予感もするのである。

John Lennon - Woman


なかなか難しい世の中になってきたのであると思うのであるが、
雑居、雑所、混居というのもあらゆるものが疑念という無秩序の
中では難しい概念となりつつあるのをみるのである。
固定概念では階層の自由変化、階級の自由変化、ありていに言えば、
自由に自分で選べるが楽はできない。
自由変化もできにくい固定化された自由変化、身分ではない、社会である。
不平等でありすぎるということでもない。
平等すぎるほど平等に完成された社会であるように思うのだが
なぜか、不安がある。
どこにそれがあるのか。
大乗世間であると思っていたのが、じつは
小乗世間であったのだ。
わけのわからないことであるのだがこれに尽きるのかもしれない。
一所懸命も大乗的論理では通用しつづけるが小乗論理では・・・・

雑居、雑所、混居も難しい時代になっているようどす。
階層の自由変化、階級の自由変化、人は何を欲するのか。

ロボッツ、欲するのか。

人は動物である。
人はヒューマンである。

君の行く道は
果てしなく遠い
なのに
何故、君は行くのか
さらば、スバルよ~~♪♪


ほな さいなら
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プロフィール

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コロたん
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趣味:
なし